世界の大学事情

【世界の大学事情】第6回 「大学学位取得傾向の説明における人口統計の重要性」「危機に立つ米国の大学教授職」

その1:『大学学位取得傾向の説明における人口統計の重要性』(The Importance of Demographics in Explaining Attainment Patterns)(IHE #76: 2014年)
Arthur M. Hauptman(高等教育金融問題専門政策コンサルタント)

 米国が他国と比較して、大学の学位を持つ成人の割合(学位取得率)がどの程度なのかという問題は、米国の高等教育に関する議論の中で過去10年間に非常に目立ってきた。経済協力開発機構(OECD)は、米国が他の多くのOECD加盟国の学位取得率を下回り、それが特に若年成人のグループで顕著であることを示す一連の報告書を発表した。この事態に対する懸念から、オバマ大統領は学位取得と修了率の向上を自らの国内政策課題の中で非常に重要な部分として位置付けた。近年の他の多くの報告書でも、アメリカ経済が世界的な競争力を維持するためには、今後10年にわたって何百万人もの大卒者を生み出す必要があるという議論がなされている。
しかし、これらの懸念が表明される中で置き去りにされてしまっているのが、米国で授与された学士号と準学士号の数が、最新のものを含む過去数十年にわたって、国内全体や大学生年齢の人口の増加をはるかに上回るペースで一貫して増加しているという矛盾した事実である。特定の年齢の学位取得者数をその関連のある成人年齢層の人口で割ることで算出されるものが学位取得率となるため、米国の学位取得率は時間の経過につれて一貫して増加することにもなる。
米国が多くの世界的な競争相手と比べて、大学学位保持者の割合においてかなり後れをとっていながら、米国で毎年授与される学位の数と、米国の成人人口の学位取得率の両者が成長しているという矛盾しているように思える事態をどのように理解したらよいのであろうか。その簡単な答えは、特に若年成人の間で、他国の学位取得率が米国の学位取得率よりも急速に伸びたために、相対的に米国の順位が下がったのである。
しかし、この難題に基づくと、国ごとの人口動態と、その人口動態上の傾向が大学卒業生数と高等教育の学位取得率にもたらす影響の違いに重要な答えがある。最近の米国の議論であまりに頻繁に忘れ去られ無視されているのが、大学卒業者数は実は2つの要素、すなわち関連する年齢層の大きさと、その層における学位保持者の割合に依存するということである。よく誤解されているのは、その2つの要素において、学位取得率の継時的な変化よりも、人口動態上の傾向の方が、大卒労働力の総規模を決定するより重要な要因となることである。

 

アメリカン・エキスプレス
米国で授与された学士号の数は、第二次世界大戦の終結以来、人口の増加をはるかに上回る速度で増加している。その結果、米国における学士号の取得率は、すべての成人年齢層で過去半世紀にわたって一貫して増加している。直近の10年間でも、各成人年齢層の学士号取得者の割合は少なくとも10%増加した。各年齢層において、学士号以上の学位取得率は1960年以降少なくとも3倍となり、1970年以降では少なくとも2倍となっている。準学士以上の学位保有者についても、学位取得率が継続して増加しているという同様の傾向が見られる。ただし、準学士号保持者数について、米国政府の記録は1990年以降のみとなっている。
学位取得率の傾向に関する上記の記述は、米国の学位取得率が横ばいであるとか、長期にわたり停滞しているといったしばしば耳にする発言と矛盾している。この誤った主張は、正確な観察から生じるものである。というのも、米国の労働人口の最も若いグループと最も高齢のグループの学位取得率は現在ほぼ同程度であり、これにより米国の学位取得率が経時的に成長していないと多くの人が結論付けている。しかし現実には、労働人口の最も若いグループと最も高齢のグループの学位取得率がほぼ同程度であることは、若年グループの学位取得率が低下したり上昇が鈍化したりしているわけではなく、むしろ最も高齢のグループにおける学位取得率が急激に上昇したことによって生じているのである。
人口の大きさを決定づける人口動態上の傾向は、大学の学位保有者の数を決定づける方程式のうち、あまり議論されていない部分である。しかし、学位取得率が一貫して上昇しているのとは対照的に、伝統的な大学生年齢のグループの規模は経時的に変化している。米国の高校卒業生の数は、ベビーブームの結果、1970年代半ばにピークに達し、1990年代初めに低下し、2008年から2009年にかけて再び上昇した。そしてその数は、2014年から2015年の間に再び低下し、2010年代の終盤に再び増加し始めると予測されている。
しかし、数十年にわたる高校卒業生数のかなり急激な減少にも関わらず、米国の大学生数と大学で授与された学位の数は過去50年間一貫して増加している。これはどのように説明したらよいのだろうか。これに対する基本的な答えは、米国の高等教育は従来の大学生年齢よりも年上の学生を増やすことにとても成功してきたということである。結果として、成人年齢層の各グループにおける大学参加率および学位取得率は、大学で授与された学位の数と同様に、過去50年間にわたって一貫して増加している。

 

高い学位取得率を有する国々における経験
上に述べたように、米国の人口増加率と学位取得率の傾向の両方が、現在および将来の米国における大卒労働力の規模を決定づける。しかしこれらの米国の人口増加率と学位取得率の傾向は、米国が他の多くのOECD諸国と比較して学位取得率で順位が低下した原因についての手がかりを与えてはくれない。これについては、OECD諸国の人口統計と学位取得率に着目する必要がある。
OECD加盟諸国の多くは、出生率低下や移民としての人口流出によって若年成人の数が大幅に減少したことにより、その学位取得率が米国を上回った。韓国や日本などの学位取得率が最も高い国々では、15~24歳と25~34歳の人口数が2000年から2010年の間に2桁の割合で減少した。高い学位取得率を有する他の多くの国々でも、同様に若年層の人口減少が生じていた。さらに、これらの国々の多くや、中でも特にアジア諸国では、大学生年齢人口の減少は慢性的であり、また持続している。
これは現在、米国よりも若年成人の全体的な学位取得度の高い国の多くが、その国における若年成人の減少割合が増加することによってこの功績がもたらされていることを意味する。この事実は、現在と将来、これらの国々で大卒労働者が減少するという意味で、労働市場に悪影響が及ぶ可能性があることを示している。また、これらの学位取得率の高い国々の多くでは、学位を持つ若者の数が退職する人の数をはるかに上回っており、これらの国の大学新卒者の失業率を大きく増加する可能性がある。
このように、学位取得率について、OECD加盟国のうち米国がどのような位置に順位付けされているのかに関する近年の議論は、異なる人口統計が学位取得動向にどの程度影響を与えるかについて、また、その学位取得動向が今後の労働力需要を満たすのに及ぼす影響について十分に焦点を当てていないのである。

※原文はこちらからご覧いただけます。

その2:『危機に立つ米国の大学教授職』(The American Academic Profession at Risk)(IHE #89: 2017年)
Martin J. Finkelstein(米国Seton Hall大学教授(高等教育))

 過去半世紀にわたり、米国は、その高等教育システムの規模と質の両面において世界最高水準として台頭してきた。もっとも、現在では中国が高等教育の在籍学生総数で米国を上回り、毎年より多くの博士学位取得者を世に送り出している。また中国は、大学教員数でも米国を上回っている。インドも、少なくとも在籍学生総数という点では、今にも米国を上回ろうとしている。米国人はその高等教育の質が高いままだと主張しているが、それが少しずつ危機にさらされている。

 

新たな分析
この主張は、Martin Finkelstein、Valerie Conley、とJack Schusterの三名による著書『The Faculty Factor(大学教員の要因)』(ジョンズ・ホプキンズ大学出版、2016年10月)における、米国の大学教授職の現況と将来の見通しに関する、新しく詳細な分析に基づく議論によるものである。21世紀初頭に我々が発表した著書『The American Faculty(アメリカの大学教員)』(Schuster・Finkelstein著、2006)において報告した、米国の大学教授職の現況が深刻に低下しているという憂慮すべき指標の数々を基に、我々の新たな著書では、2008年以降の世界的な大不況が長引く間に米国の大学教員が経験した運勢について知るため、これまでにないとても新しいデータを創造的に掘り出した。
我々の著書における主張は、米国の大学制度を日常的に経験していない人にとって、Christo¬pher JencksとDavid Reismanらによる『The Academic Revolution(大学革命)』(1968)、BowenとSchusterらによる『American Professors(米国の教授達)』(1986)、Burton Clarkによる『Academic Life(研究人生)』(1987)といった書籍によって浮かび上がってきた理想的で典型的な米国の大学教授職とキャリアのモデルについての認識を、鋭敏でかつ精密に修正してくれる。その米国の大学教育職とキャリアのモデルの基盤となっていた概念の一つが「共同統治(shared governance)」である。これは、特に大学教員の採用や昇進という人事の問題というような学術的な事項に関して、大学教員に最高の権限を与えるということを含む、大学教員が高等教育機関において学術的使命を果たすことに関する受託責任を意味する。また、米国の大学教育職とキャリアのモデルは、学問の自由を守り、世界中の学者を磁石のごとく米国の高等教育機関に引き寄せ、学術的なキャリアの構造を規則化してきた「テニュア(tenure)」という概念にも基づいていた。テニュアによる学術キャリアは、6〜7年間の試用期間の後、「昇進か解雇」の評価の上で、持続的な雇用と比較的安定したキャリアへつながるというものである。さらに、米国の大学教育職とキャリアのモデルは、教育・(しばしば広く定義される)研究・社会貢献の各機能的役割が、相互補完的であり、かつ相乗的でダイナミックにお互いを強化しあうという「統合的な学術的役割(integrated academic role)」という概念にも基づいていた。

 

数字によって示される新しいモデル
米国における大学教授職とキャリアの「新しい」モデルでは、伝統的に統合されていた大学教授職の役割が、教育専門職、研究職、管理職に分離され、そして、キャンパスにおける大学教授職の権威が、学術的な事項についてさえも、増加するフルタイムの専門職員達によって次第に侵食されていくというような、ますます不測で、階層化された学術的な労働力の上に成り立っている。
米国の大学教員の約35%は常勤の講師やテニュアを得た教員か、または、テニュア・トラックの教員である。また、米国の大学教員の約50%は現在非常勤で働いている(主に1から2つの授業を臨時に教えている)。そして残りの15%は教育のみ、研究のみ、またはプログラム管理のみに焦点を当てた常勤の固定契約のポジションとなっている(このようなポジションではガバナンスへの参加を含む業務には関わることはない)。一般の、しかしながら教育・研究活動に関わる事務職員の職位の爆発的な成長に伴い、学術プログラムや政策に関する決定は、大学教員ではなく事務職員によって行われることがますます増えており、大学教員の影響力の範囲は徐々に学部・研究科や、より特化したプログラムレベルにまで縮小されている。
我々の主な発見として、過去の世代では大学教員の新規採用者の約5分の3がテニュア・トラックではないということがわかった。自然科学および社会科学の博士課程修了者の半数は、一時的なポスドクの職について、そのうちごくわずかな幸運な者だけが大学教員の職に就くことになる。おそらく、新規採用の大学教員の4分の1が、初めの3年間のうちに仕事と就労状況を変えている。テニュア・トラックから外れた常勤教員の5分の2は、キャリアの最初の10年の間に高等教育のセクターから離れる。大学教員として就職する際の契約の種類、つまり常勤か非常勤か、あるいはテニュア・トラックか任期付きかどうかが、その後の就労の軌跡を形づけることになる。キャリアの道筋全体は透明性が非常に悪い。また、産業界及び政府からの大学教授職への移行は比較的少ない。
米国の大学システム全体を通じて米国の大学教授は、他国の大学教授と同様に、より多くの授業を教え、より多くの学生の対応をし、そしてより多くの研究論文を生み出すことを求められるが(外部研究資金を獲得することがより望ましい)、一方でアカウンタビリティに対する要求の新たな対象にもなっている。概して、米国の大学教授職は、以前と比べて全く魅力的でなくなった就労環境や希望が持てなくなったキャリアの見通しといった低下傾向を反映する状況ではあるものの、それでもほとんどの基準において、仕事やキャリアの満足度は依然として高い。1990年代半ばから始まった実質的な短期成長の後、学術分野の給料は安定し、世界大恐慌から回復し始めたばかりである。新規採用者向けの最も良い大学教員職(テニュア・トラックの助教)の給与は、世帯所得の中央値には達していない。新規採用大学教員は、それが常勤雇用であろうとも、ますます経済的には軽んじられているのである。

 

国際的なベンチマーク
International Higher Education (IHE)(当記事が掲載されている国際比較高等教育に関する雑誌)の読者のための特典として、我々のこの著書には、主に2007年から2008年の『Changing Academic Profession Survey(変貌する大学教授職調査)』の結果に基づいて、米国の大学教員を国際的な視点で明示的に捉える二つの章が設けられている。一つ目の章では、米国の大学教員の教育および研究・出版活動の国際化の傾向を検討する。二つ目の章では、米国の大学教員の教育・研究およびガバナンスのプロファイルを、他の英語圏の国、西ヨーロッパ、東アジアの大学教員のプロファイルと分かりやすく比較する。この調査結果からどのようなことが分かったのであろうか。まず、1991年から1992年のカーネギー財団教育振興国際調査でも見られた傾向であるが、米国の大学教員は内向き傾向が目立つようになった。教育や研究に国際的な視点が統合されていたのはわずか4分の1程度の大学教員にすぎなかった。そして、国際的な共同研究者をもつ者は約3分の1にすぎなかった。米国の「国際主義者」の大学教員を他の大学教員と区別する特徴は、研究の全体的な生産性と広範囲にわたる学術分野を超えた学際的な経験を有しているということであった。他の英語圏の国、ヨーロッパ、東アジアの大学教員と比較して、米国の大学教員は、研究指向が低く、教育により時間を費やし、著作の出版が少なく、高等教育機関において自らの所属する部門以外のガバナンスや教育の公的政策に与える影響が少なく、比較的給与や満足度が高い(それも突出しているというのではなく、全体の中くらいの位置で)という特徴があった。
我々の著書において、将来的に米国の高等教育の卓越性を脅かす事態になりかねない、専門性がますます断片化されて、弱体化している米国の大学教員像が明らかになった。残念ながら(少なくとも米国人にとっては)、世界中の多くの国が、知的経済における世界的な競争力を高めるための戦略の一環として米国のモデルを模倣しようとしている中、米国はその高等教育の卓越性が浸食されることを警戒しているのである。

※原文はこちらからご覧いただけます。

<翻訳者>新見有紀子(政策研究大学院大学客員研究員、一橋大学講師)