世界の大学事情

【世界の大学事情】第3回 「世界大学ランキング:新しい年には、新しい手法?」「Citius, Altius, Fortius(より速く、より高く、より強く):世界大学ランキングは高等教育の「オリンピック」か?」

その1:『世界大学ランキング:新しい年には、新しい手法?』(Another Year, Another Methodology: Are Rankings Telling Us Anything New?
Ellen Hazelkorn(アイルランド高等教育局政策顧問、高等教育政策研究ユニット(Higher Education Policy Research Unit; HEPRU)名誉教授兼所長)
Andrew Gibson(HEPRU上級研究助、ダブリン大学トリニティ・カレッジ博士号候補者)

 以前は、世界大学ランキングについて論じる場合、最初に「どのランキングですか?」という質問をしなくてはならなかった。ただし、主な世界大学ランキングの数は十にのぼるとは言え、最も注目を浴びるのは、上海交通大学のAcademic Ranking of World Universities (ARWU)、Times Higher Education (THE)によるランキング、そしてQS世界大学ランキングである。しかし、最初の質問への答えを聞いた後でも、「わかりましたが、どのランキングですか?」とさらに尋ねることはありうる。なぜなら、この三つのランキングだけでも、地域別、学部別、分野別、学科別などの66の個別ランキングやサブランキングを設けているからだ。これら全てのことは、ランキングは単に報道価値があるだけでなく、一大ビジネスなのだということを示している。
 従来から、政策やメディアの関心の焦点は、ランキングにおける、統計的に有意とは言えない程度ではあるものの、その相対的な順位の上下動の魅力とメロドラマに置かれていた。学生さえも、このような順位の軽微な違いに基づいて選択を行ってきたことも判明している。ランキングの数や種類の増大を実際に招き、とりわけ主要な会議やイベントに合致すると思しきタイミングで発表が行われる一因となったのは、おそらくこうした順位変動に伴うセンセーショナルな側面なのである。
 ランキング機関は、それが故意であることに異議を唱えることだろう。例えば、US News and World Reportは、これらの変更は、ランキングを改善させる試みの表れであり、THEの言うところの「より良くするための変化」だと主張していた。さらにTHEでは、自機関の各種パートナーシップ、すなわちQSとの決別やトムソン・ロイターとの提携、そして最近ではScopusとの提携に関連した変更を正当化してきた。

 

最近のランキング算出手法の変更点
 ランキング手法の変更は、大きく分けて二つの形態で生じる。まず、構造的な変更が挙げられる。すなわち、重み付け、具体的指標、「正規化」の基準などを数パーセント動かすという方法である。もう一つは、ソースデータの変更である。いずれの変更にせよ、こうした側面が際立たせるのは、手法そして重み付けの恣意性である。
THEはそのソースデータを2015年にWeb of Science(WoS)からScopusに変更した。WoSに収載されるジャーナルが12,000誌であるのに対し、Scopusには23,000誌収載されている。Scopusは、人文科学と社会科学分野をより広く網羅し、より多くの分野と学科における広範な大学の活動を包括できるとみなされており、計量書誌学的指標におけるある種の科学的なバイアスを取り除いている。
 もう一つの変更がもたらした影響として、THEは、重要性の低い高等教育機関を過大に評価しかねないという理由から、著者数が1,000名以上いる論文の除外を行った。この除外が主に影響を及ぼすのは、粒子物理学などの分野、そして例えば欧州原子核研究機構(CERN)のプロジェクトである。完全なデータセットを現在見ることができないので、あくまでも推測になるが、トルコのボアズィチ大学が2014~2015年の139位から、2015~2016年の501~600位へと順位を落としたのはこうした研究論文の除外が原因であろう。このことは、こうした研究を完全に認識対象外とすべきなのか、より公平で適切な解決策となる何らかの代替方式があるのではないか、という疑問を投げかけている。
 QSは2015年に手法を変更しており、これを「改良」と呼んだ。この変更は、被引用数の計算方法に関わるものであった。変更にあたり、被引用数を研究者の絶対数で割る代わりに、領域別に被引用数を正規化するモデルが作成された。この方式により、芸術・人文科学、社会科学、工学ならびに技術研究が、医学、生命/自然科学とほぼ同等の地位に押し上げられた。例えばこの変更により、古くから存在し、研究の評判がより確立している傾向があるメディカルスクールを有する大学がもはや有利にはならず、他の学術領域で強みを持つ比較的新しい機関の地位が上がる可能性が生じた。THEの動きに呼応して、QSも、関連機関が十を超える論文は除外するようになっている。
 対照的に、ARWUの手法はかなり安定している。従って、大きな番狂わせがあることは珍しく、最上位の大学の顔ぶれには毎年変化はない。ARWUで2014年と2015年に行われた唯一の変更は、トムソン・ロイターに基づく被引用数の多い論文における、二つ以上の機関に所属する研究者を相互に直接参照するという測定方法に関連するものである。2003年にはARWUは、被引用数の多い研究者6,000名のリストを使用していたが、2014年と2015年の変更により、3,000名が掲載されたより短いリストが導入された。このためスコアにも若干の変化が見られたが、大きな番狂わせはなかった。
 ロシアのRound University Ranking(RUR)では、トムソン・ロイターが提供するデータを使用している。このランキングでは、研究と教育が等しく40%で重み付けされ、残りは、「国際的多様性」と「財政的持続可能性」が10%ずつ重み付けされている。このランキングの興味深い点であり、そしてこのランキングを画期的なものとしている点は、各大学の各指標のスコアを確認できるということである。この特徴は、類似したものが集まるこの世界大学ランキングのマーケットにおいて、同ランキングを興味深い選択肢にしている。

 

これらの変更が新たに伝えることはあるか?
 大学が自校のデータをいかに操作しているか、もしくは(より丁寧に言えば)データに影響を与えようとしているかを示す証拠は世界中に数多く存在する。教員数は、研究収入、研究学生、論文数、教員対学生比などに関する重要な共通項となるため、教員を契約や雇用状態に応じて再分類しようとする努力も一貫して行われている。機関への所属に関わるあらゆる誤ったラベル付けを一掃しようとする決然たる努力も見られる。また、大学による学生の入学時の選択基準を引き上げようと努力が行われていることについても強力な証拠があり、このことは学生の卒業率、就業率、給与水準にも波及効果を及ぼしている。こうした例はセンセーショナルではあるにせよ、世界の18,000もの高等教育機関の組織においてはいまだに少数派である。
 このような変更に関わらず、ランキングが、私たちがいまだ知らないことを何か伝えてくれるかどうかは明らかではない。大学の変化は非常にゆっくりとしたものであるため、年間ランキングに現れる変化のどの程度が、現実に教育機関自体の変化によるものであるかを理解するのは困難である。また、皮肉にも、変動に関わる問題は、ランキングの相対的な均一性という逆の問題を覆い隠す恐れがある。ランキングには変動があるように見えるが、実はランキングは顕著なまでに一致している。各機関の順位は若干違って見えるかもしれないが、すべてのランキングで最上位層は基本的に同じ機関が占めているのだ。これは驚くべきことではない。なぜならランキングとは本質的に、同じこと、そして誤ったことを測定しているからである。
 ランキングの頑強な「ブラックボックス」的特性は、政府や学生や一般大衆が、ランキングの中身が何であるかを理解していないことや、疑問を持たないことに起因しているのである。

※原文はこちらからご覧いただけます。

その2:Citius, Altius, Fortius(より速く、より高く、より強く):世界大学ランキングは高等教育の「オリンピック」か?』(Citius, Altius, Fortius:Global University Rankings as the “Olympic Games” of Higher Education?

Maria Yudkevich(ロシア国立研究大学高等経済学院副学長)
Philip G. Altbach(ボストンカレッジ国際高等教育センター研究教授・創設センター長)
Laura E. Rumbley(ボストンカレッジ国際高等教育センター準センター長)

 

 メタファーには、どのような意味が込められているのだろうか?世界大学ランキングに関するメタファーは数多く存在するし、実際にこのランキングに関して、さまざまなメタファーが頻繁に用いられている。我々の考えでは、世界大学ランキングには、スポーツ競技に似た性質も多く、この大規模な学術界のコンテストともう一つの重要な世界的競争であるオリンピックとの間には、顕著な類似点がいくつかある。
 大学ランキングは、オリンピックと同様にきわめて競争的な性質が強く、参加者の将来的な展望を本質的かつきわめて具体的に形作る可能性のある、栄誉ある賞や報酬をもたらしうる。アスリートであれば、国内外での名声に加えて、支持を得て金銭的な利益を手にする機会も増える可能性がある。同様に、世界大学ランキングで際立った評価を得られれば、大学の国際的な知名度が大きく上がり、有望な学生や教員の興味を引き、民間の資金提供機関や、産業界、慈善団体さらに政府から資金を得られる可能性が高くなる。

 

世界ランキングという「競技の場」
 オリンピックと世界大学ランキングの両方において、世界的な舞台で最高レベルのパフォーマンスを発揮する意義を理解し、かつ勝利を目指して競い合う意欲を有する者たちが集まることになる。とはいえ、この2つのコンテストへの参加者すべてが平等に創られているわけではない。精鋭たちの集う国際的なコンペティションで優れた成績を残す上では、賢明さと、金銭的な豊かさを持ち合わせていることは有利に働く。ゲームの規則を熟知し経験していることも、重要な資質である。なぜなら、自らの主たる強みを活かし、問題を招く弱みを最小限に抑えることが成功を左右することが少なくないからである。
 さらに、オリンピックであれ世界大学ランキングであれ、一部の国の成功の理由は、その国に内在する属性によるものであると説明することもできる。例えば、特定のスポーツのメダリストの一覧を見れば、そのスポーツに適したトレーニングができる条件を自然に備えた国の代表が名を連ねることが多い。この内在的有利性という現象は、大学ランキングの世界にも当てはまる。その最も顕著な例として、非英語圏の国や高等教育機関よりも英語圏における高等教育機関の方が、ランキングに関しては、はるかに有利な立場にあるということは、広く認識されている。理由は、そのような英語圏の学術システムはグローバルな科学用語である英語で展開されており、トップレベルの科学論文誌の多くが英語圏で出版され、そうした論文へのアクセスを左右する査読者の多くが英語圏にいるからである。

 

メダル数:金メダル獲得を目指して
 オリンピックのメダルと同様に、ランキングの順位も一種のゼロサムゲームである。オリンピックでは、金メダリストも、銀メダリストも、銅メダリストもわずか1名だけである。世界大学ランキングでも同じことが言える。現実には、優秀な学術機関が特定の数に限定されるものではないにも関わらず、1位に選ばれる大学は1校のみであり、トップ100に選ばれる大学は100校に限られる。
 大学ランキングでもオリンピックのようなメジャーな国際的スポーツイベントでも、一部の国は、真剣に競争に参加すべく多大な努力をし、目標達成のために多額の資金を投入する。これらの国は、このような競争の舞台で最高の成績をあげることを国家的な優先事項とし、さらに該当分野における成果を政治力学の観点からも重要であるとみなしている。中国、フランス、ドイツ、ロシアを含む数多くの国における大学または高等教育の卓越性に関わるイニシアチブの一部では、ランキングでより高い順位を獲得することを重要な目標として明記している。大学の世界規模での競争において好成績を達成することを目指してリソースを集結させることは、国家がオリンピックに参加するスポーツチームを結成することと類似している。

 

卓越性がもたらす卓越性:供給システムの必要性
 世界で最も傑出したアスリートのランキングであれ、世界トップクラスの大学のランキングであれ、脆弱なシステムから勝者が現れることはまれである。そのため、最終的には卓越したパフォーマンスを実現させることが可能になるように、システム全体を成長させることが重視される。世界大学ランキングの上位に入るには、その国におけるトップレベルの大学に投資する必要があるが、同時に、これらの最も競争力のある大学が運営される、より広範な学術システムへの投資も求められる。
 なぜこのような投資が必要なのだろうか?理由は、最上位の国立大学では、更新可能な新たな学術的才能が供給され続ける必要があるからである。同様に、オリンピックでの競争力を獲得するには、子供の発育と若年者のスポーツをサポートする、充分に発達し、また、適切な資金提供を受けたインフラがなくてはならない。さらに、強力な大学がその潜在力をフルに発揮するには、競争的な環境下で運営されることが求められる。理想としては、他大学との学生・資金・教員の獲得競争に積極的に参加しなくてはならない立場に大学が置かれる必要がある。国または地域レベルでの競争的環境を経験していなければ、教育機関が世界レベルで競争力を発揮することはきわめて難しくなる。スポーツの文脈でも同じ主張が可能である。その競技における最高の相手と練習し対戦する機会は、チャンピオンを目指す者に、自らの弱点を発見し、技を磨き、新たな高みに到達するための不可欠な機会を与えてくれるのだ。
 オリンピックで好成績をあげる国と強力な高等教育システムを有する国とのもう一つの類似点が、才能の持ち主を引き寄せるシステムの力である。オリンピックでは、特定の国を代表するナショナルチームに、他国出身であるアスリート(またはコーチやトレーナー)がその国の国籍を取得し、正当なその国のプレーヤーとしてチームに加わる場合もある。同様に世界中の多くの大学が、世界大学ランキングでの競争的な立場を強めるべく、自校のチームに最高の人材を呼び寄せることに力を入れている。

 

失われた栄光:金メダル獲得レースのダークサイド
 悲しいことであるが、私たちが周囲で目にするように、競争には負の側面もある。プロサッカー界における汚職から、オリンピックを含めた自転車競技の長年のドーピング文化に至るまで、万人が公平にプレーしていないことが明白な例もある。そして、一部のアスリートがパフォーマンスを高めるためのドーピングに耽る一方で、大学ランキングの世界においても、パフォーマンス向上戦略として、Web of ScienceやScopus等の主要データベースにも誤って収載されることを期待して、質の低い営利目的の学術誌に論文を掲載することがある。さらに、ランキング機関の一部が、大学の質についての客観的な判定と同等に、商業的な利益を重視していることも認めなくてはならない。
 それでは、なぜこのような行動が生じるのだろうか?大学ランキングそしてオリンピックの舞台での優れた成績の達成には、勝利への断固たるコミットメントが求められており、また失敗した場合の潜在的な代償が、見事なフィニッシュを確実に迎えるためならどんなことでもするという気持ちを、競争参加者に起こさせるほど深刻なものであるからなのかもしれない。

 

Citius, Altius, Fortius—正しいモットーと誤ったゲーム?
 より速く、より高く、より強く―この高みを目指すことへと気持ちを駆り立てる呼びかけに心を動かされない者はそれほどいないだろう。ただし、オリンピック競技会では、メダルが特定の一日のパフォーマンスに基づいて授与されることに世界のトップアスリートたちも納得しているかもしれないが、世界の大学の業績の評価は、表彰台での位置またはリスト上の順位を超えた広がりを持つものでなくてはならない。より速く、より高く、より強くという高みへと至る道を追求する上での大学のコミットメントは、大学自体の持つ複合的で多面的な性質に対する深い理解に基づくもの、そして、大学が、大学自体およびより広い公共的利益における健全性やダイナミズムをどうすれば最も良く促進できるのかという精巧な考察に基づくものであるべきである。こうした基盤となる努力が、華やかな照明や国歌によるファンファーレを超えて、思慮深く着実で持続可能なやり方で展開していくことを可能にしなくてはならない。それと同時に、すべての大学がオリンピックレベルの競争に力を入れるべきではなく、学ぶ機会を提供することや、大学によっては学生を教育すること、ならびに地域や地元のニーズに応えることに力を入れるべきであるという認識も必要である。なぜならオリンピックと同様に大学ランキングは、少数のきわめて力のある競争者にとっての領域だからである。
注:Citius, altius, fortius—「より速く、より高く、より強く」を意味するラテン語であり、オリンピックの公式モットー。

※原文はこちらからご覧いただけます。

<翻訳者>新見有紀子(政策研究大学院大学客員研究員、一橋大学講師)