世界の大学事情

【世界の大学事情】第14回 1. 『無料の高等教育:平等と公平の誤解』, 2. 『高等教育機関における収入条件型(Income-Targeted)の授業料無料化(とその危険性)』

その1:『無料の高等教育:平等と公平の誤解』(Free Higher Education: Mistaking Equality and Equity)(IHE #91: 2017年)
Ariane de Gayardon(英・ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン グローバル高等教育研究センター研究員)

高等教育の授業料無料化の運動は、2013年のチリにおける学生運動から、2016年の南アフリカでの#FeesMustFall運動および2017年のフィリピンでの高等教育の授業料の撤廃の決定等、世界中に広がっている。一般市民や、とりわけデモに参加している学生とその家族は、授業料を撤廃することが、特に低い社会経済的背景を持つ学生を含む人々の高等教育へのアクセスを改善させると信じているようだ。しかしながら、高等教育の授業料無料化が、学生のためのアクセスやサクセス(卒業率)の改善や、より良い公平性につながるというエビデンスはない。

不公平な「無料」の高等教育システム
今日の世界の高等教育システムの40%近くが、自らを「無料」だとみなしている。しかしながら、「無料の高等教育」という看板の裏側に隠れている真実は非常に多様である上、入学したすべての者に対して費用を課すことなく学位を与える国はほとんど無いと言って良い。実際には、高等教育が完全に「無料」と考えられている国々ですら、補助金を公立セクターのみに制限している。これらの国々では、高校を卒業したすべての学生には、公立の機関で高等教育を無料で受けることのできる身分が保証されている。そういった国々にはアルゼンチン、キューバ、フィンランド、そしてノルウェーが含まれる。その他、すなわちデンマークやスウェーデンは最近、留学生に授業料を導入することで制限を加えた。

他の国々では、授業料をゼロに保ったまま、経営上の費用を賄うため、名目上の手数料を値上げした。約10年前に撤廃された授業料よりも名目上の手数料が高いというのが、アイルランドにおける現状である。

しかしながら、世界的には無料の高等教育を維持しながら、大衆の経済的負担を軽減するためのもっとも一般的な方法は、支援を受けることのできる人数を政府によって制限することだった。この方法が特に注目されるべきなのは、これが高等教育の無償化に対する要求の背景にある、まさにその論拠と対立するからである。このような方法は、最も恵まれない集団が不利になる形で高等教育へのアクセスを制限することが多い。ブラジルやエクアドルのようないくつかの国々では、公立高等教育機関へのアクセスのために標準化された入学試験を規定している。主に旧ソビエトや東アフリカなどの国々はデュアル・システムを実施し、政府が公立の高等教育機関における一定の人数のみに援助を行う一方で、残りの学生は授業料を支払うことでアクセスできることになっている。この2つのシステムでは、実際上、高等教育を無料で受けられるか否かが個人の実績に基づいて決定されるという点で、より恵まれた社会経済的背景にある学生に有利に働くため、同種の不公平を生み出している。

全体として、授業料が無料の高等教育というコンセプトは、多様な現実を内包する複雑なものである。ある国の高等教育システムがどのように無料であるかについては、多くの要素に依存しているが、めったに普遍的なアクセスを保証している訳では無いのである。

アクセスとサクセス:ラテンアメリカのケーススタディー
高等教育のアクセスと授業料の政策、特に高等教育の授業料無料化政策との間のつながりを描き出すために、この論説ではラテンアメリカにおける3つの国々に注目する。アルゼンチンとブラジルの両国は公立の機関において高等教育を無償で提供しているが、アルゼンチンでは、公立の高等教育システムがすべての者に開かれている一方で、ブラジルの場合は、標準化された入学試験によって、その対象となる学生の規模が制限されている。2016年以前、チリでは、公立および私立の高等教育機関における授業料は高額で、人口当たりのGDPに換算したときに世界でもっとも高額なものだった。これら3つの国々は歴史的、地理的、そして文化的状況を共有しているにもかかわらず、各々の高等教育に支出するためのアプローチが根本的に異なっているため、これらの3つの国々を比較することは、啓発的な取り組みであると言える。

2013年のこれらの国々の就学率(Gross Enrollment Ratios: GER)は、チリでは84%、アルゼンチンでは80%、そしてブラジルでは46%だった。チリの就学率がもっとも高く、ブラジルの値を約40%上回った。従って、授業料システムそれ自体は必ずしも高等教育への入学を阻むことはなく、授業料のあるシステムでもユニバーサル・アクセスに近いレベルを達成することができると見られる。

しかし、就学率は高等教育へのアクセスのための十分良い尺度ではない。近年は、入学した学生が無事に卒業したかどうかという「サクセス」が、高等教育のアクセスに関する研究において不可欠な要素となっており、高等教育システムのアクセスの実績を検証する上では、卒業率が考慮される必要がある。2015年の卒業率はチリでは60%、アルゼンチンでは51%、そしてブラジルでは51%と見積もられた。この卒業率の尺度においてもまた、チリはこれら3ヵ国の中で1位であり、その卒業率の高さはアルゼンチンの2倍であった。アクセスと同様に高等教育のサクセスも、授業料の有無によって決定されるわけではないようであり、授業料を徴収しない国々においても、卒業率という面では、全く上手くいかないこともある。

これらの事例が示すことは、高等教育のアクセスとサクセスは、授業料の政策によって決まることはなく、無料の授業料システムを維持する国々がこれらの領域で苦戦することがある一方で、授業料の高い国々で上手くいっているということである。加えて、これら3ヵ国における、社会経済背景に関する調査の分析によると、チリとアルゼンチンにおいては、高等教育のアクセスとサクセスが、個人の経済的背景に影響を受けていない一方、ブラジルにおけるアクセスは、個人の経済背景という変数に非常に強い影響を受けていることが示されている。しかしながら、これらの3つの全ての国々で、人々は、個々人の文化資本(cultural capital)の差に基づく顕著な不公平に苦しんでいる。これは、経済的な費用負担が高等教育のアクセスに対する唯一どころか主要な障害ですらないため、高等教育を無料で提供することが必ずしもアクセスの改善につながらず、したがって、高等教育無償化の支持者の主な主張を論駁するということを示唆している。

授業料無料化の実施
授業料の無料化という政策措置を考慮する際に注目すべきことは、授業料無料化を実施する上での影響のみならず、その背景にある現実である。近年、授業料無料化を実施することを決定した国々では重大な課題に直面している。チリでは、政府が公立および私立のすべての高等教育機関の無償化政策を実施するための財源を見つけることに苦労している。結果として、授業料が無料となる人数に対する制限が課され、2016年に高等教育が無料で受けられるとされた学生の割合は学生全体の18%以下となった。同時に、フィリピンで近ごろ通過したばかりの授業料無料化の法案は、これまで授業料の無料化を支持していたまさに同じ集団によって、現在のやり方では不公平を悪化させるだけだとすでに批判されている。類似して、エクアドルの政府は授業料を撤廃すると同時に入学試験を導入したことで、現在、高等教育の民主化を阻んでいると批判されている。しかしながら、入学試験を撤廃することは、高等教育に対する追加的な需要に対応できる準備ができていないシステムでは、質の維持に関する問題を作り出しかねない。

授業料の無料化政策を実施することは、容易とは到底言えず、数十年間、高等教育を無償で提供してきた2つの国であるブラジルとアルゼンチンにおいて観察された限界が、近年広がる授業料の無料化を実施し始めた例においても、その変更直後に、現実となり得ることを示している。ドイツが大衆からの圧力を理由に、授業料を導入して10年もたたない2014年にそれを廃止したことに体現されるように、単なる実施を超えて、これらの政策を変更することは極めて困難なので、長期的に熟考される必要がある。

ゆえに、最近授業料無料化の政策を導入した国々における状況は、それがどのように推移し、授業料を無料とするアプローチが成功するかどうかを理解するために、継続的にモニターされるべきである。ただし、今現在の各種指標によると、この政策はうまくいかないという方向が示されているようである。

結論
高等教育の授業料無料化は複雑な現実である。政策立案者にとっては、これは結局単純な予算決定であり、間違いなく強力な政治的な見世物なので、安易な方策のように思えるかもしれない。しかしながら、高等教育の授業料無料化を実施することは、費用が掛かり複雑であるだけでなく、アクセスやサクセスの改善を保証しない。これは主に高等教育の無償化は、的を絞った政策ではないためで、個々人がそれを必要としているのかどうかにかかわらず全員に影響を及ぼすからである。この政策は平等主義的だが不公平な状況を作り出す可能性があるだけでなく、しばしば実際に不公平な状況を作り出している。

公平性に関する問題を抱える無料の高等教育システムの事例は世界的に豊富だが、奇跡の社会政策として授業料の無料化を政治家は推し進め続けている。しかしながら、ある場所で上手くいかない政策が、別の場所で上手くいく可能性とはどれくらいあるのだろうか?我々は学生に対して、彼らの高等教育の費用負担を帳消しにするよりも、彼らが高等教育のために支払うことができるよう手助けするための公平な方法を作ることにより労力を注ぐべきではないだろうか?

※原文はこちらからご覧いただけます。

その2:『高等教育機関における収入条件型(Income-Targeted)の授業料無料化(とその危険性)』(The Emergence(and Perils)of Income-Targeted Free Tuition)(IHE #91: 2017年)
Alex Usher(カナダ高等教育戦略協会会長)

かつて公立の高等教育機関における授業料については大きく2つの考え方の方向性があった。1つ目は単純に無料にせよというものだった。単純に普遍的な福祉として…幸運にもその立場を得た者からは、サービス提供時点で授業料を徴収せず、それ以降も一切無料であった(概して、授業料が「無料」の国々は、授業料を無料にするための財源も少ないため、学生が少ない傾向にある)。2つめの考え方の方向性としては、学生に授業料は課すが、支払いの援助が必要な者にはローンと助成金を組み合わせて提供するというものであり、これにより、裕福な家庭は貧しい家庭よりも多く支払うという、有益な価格差別が作り出された。

高等教育の授業料に対する後者のアプローチの問題は、これが複雑であることだ。学生とその家族は、授業料には決まった金額があるということを理解してはいるが、それを相殺できる補助金の存在について、必ずしも認知または理解しているわけではない。ときにこれらの補助金の額は非常に大きい。例えばカナダでは、国内の学生から徴収される授業料の合計は大なり小なり奨学金の総額と等しいが、多くの者は依然として授業料が高等教育へのアクセスにおける財政面での主要な障害であるという印象を持っている。授業料の無料化は、その財政状況にかかわらず就学する見込みの高い者に対しても援助を提供するという点において無駄かもしれないが、やりとりは遥かに単純である。

新たなアプローチ
しかし現在、高等教育の授業料に対する「第3の方法」が西側諸国にわたって出現しており、それは「収入条件型(Income-Targeted)の授業料無料化」と呼ばれている。この制度は、授業料無料の謳い文句という明快さ持つ一方、収入によって審査が行われる。この制度は、1990年代後期にイギリスで初めて出現し、その際、学生の授業料は収入に応じて簡略的に審査された(1998年から2005年までは、収入が20,000ポンド以下の家庭の学生は授業料が無料で、20,000から30,000ポンドの家庭の学生は授業料が半額だった)。このような制度は今や、遠くはカナダのフレデリクトンやニューブランズウィック、そしてチリのサンティアゴにいたる地域などで見られるようになっている。

チリにおいては、このアプローチは偶然導入された。大統領のバチェレは、チリのすべての大学生の授業料の無料化を約束して2012年に就任したが、その費用を賄うとされていた税制改革では、予想よりもはるかに少ない税収しかあげられなかった(銅価格の下落も影響した)。結局、すべての学生の約3分の1に当たる、世帯収入によって全学生を10区分した際に、下位6位の区分以下に相当する分の学生の授業料を賄う財源しかなかった。

カナダではより計画的に授業料の「無料化」が行われた。2016年の初頭、オンタリオ州の政府は、連邦政府の助成金システムの改革を基礎として(カナダでは補助は大抵、州と連邦の両政府レベルの協力によって提供されるが)、それまでの複雑な債権放棄および税額控除を、世帯収入が低から中程度の学部学生のための「授業料無料化」に「改変」することを決めた。高等教育機関は実際には授業料を課すことを禁じられてはおらず、多くのプログラムは授業料を6,500カナダドル程度に設定し、その代わり、政府は世帯収入がおおよそ50,000カナダドル以下のすべての学生のために、当該地域の平均の授業料と同等の補助金を支払うことを約束していた。世帯収入がその水準より上の場合は、学生は依然として補助金を受け取ることができるものの、それは変動性であり、100,000カナダドル付近では補助金は約1,800カナダドルに低下し、160,000カナダドルでは消滅する。ニューブランズウィックの政府が類似したプログラムで同様の措置を講じているので、今年の地域の予算において、他の地域が同様の道筋をたどることを目にしたとしても驚くべきことでは無いだろう。

アメリカでのイニシアティブ
アメリカにおいてもこの考え方は人気を博している。2016年の大統領選挙戦において、ヒラリー・クリントンはチリのようなシステムを提案し、その中ではもし州が、世帯収入が125,000ドル以下の学生(または学生全体の約80%)に授業料を課すことを止めることに同意するなら、連邦政府が州の高等教育システムに資金を提供するとした。こういった考え方はいつも連邦主義的な視点における「絵にかいた餅」のようなものであり、多くの者が指摘したように、一連の連邦政府の補助金が州政府によって管理されるとき、どのように一定の授業料の水準が保たれるのかがまったく明らかでなかった。クリントンの提案はペンシルベニア州が11月8日にトランプを選出した瞬間に終わりを告げたが、この考え方は州レベルでは反響し続けた。とりわけ、ニューヨークにおいては、州知事のクオモが、ニューヨーク市立大学(CUNY)またはニューヨーク州立大学(SUNY)に通っている学生で、世帯収入が125,000ドル以下の学生全員に対する、ある種の「授業料無料化」を提案しているため、反響が大きかった。

州知事のクオモの提案はクリントンの提案とまったく異なっており、チリのサンティアゴの制度よりもオンタリオ州の制度に類似している。彼は基本的に125,000ドルの閾値以下の世帯収入の学生に、彼らが授業料として支払う額と同額をいくらであれ補助するとしている。従って、「エクセルシオール奨学金」として知られることになるこの補助金は、学生が、連邦ペル給付奨学金(経済的必要性基づく奨学金)のシステムを通じて、連邦または州政府からすでに受け取っている補助金を授業料から差し引いたものと同額になると見られる。

こういったすべてのイニシアティブが共通のテーマを持っている一方で、その分配の結果はまったく異なる。カナダの事例では、60,000ドル以下の収入の家庭の学生に利益が発生し、100,000ドル以上の収入の家庭においては、その補助金ための財源に使用された税額控除の廃止によって幾分不利益が発生している。類似してチリでは、平均世帯収入以下の家庭の学生にほぼ完全に利益が限られている(しかし、ここでも削減された奨学金の財源によって相殺される損失があることによって100%の利益ではない)。しかしニューヨークでは、世帯収入が低い学生の授業料は、すでにある程度補助金を通じて賄われているので、追加の財源から利益を受けるのは、世帯収入が80,000から125,000ドルの間の家庭にほぼ完全に限られている。従って、資金の大半は、初めから(いずれにせよ公立の)高等教育機関へのアクセスに関して大きな問題を持たなかった世帯収入の家庭に向けられていると言える。

政策の教訓
収入条件型の授業料無料化を効果的かつ効率的にするための鍵は、閾値を高くすることではない。かつては学生全員の高等教育の授業料を「無料」にすることに非常に熱心だったチリ政府ですら、遅ればせながらこの認識に至っている。予算面の理由から、チリ政府は最近の授業料の「無料化」の導入を、世帯収入の十分位で下位6位の区分以下に相当する学生だけに制限せざるを得なかった。この夏、チリの財務省はこのプログラムの拡張のための予算推定を公表した。それによると、現状においては、プログラムの完全な実施にかかる費用は6070億ペソ(約9億5,000万ドル)になると見られる。世帯収入の十分位における残りの上位4位までの集団を加えるためには約3,500億ペソの費用が上乗せされるか、または一つの十分位を加えるごとに予算が58%引き上げられることになる。すなわち、全員の授業料無料化には2兆ペソ以上、または世帯収入の十分位で下位6位の区分以下に相当する学生の分を賄うための費用の3倍かかることになるだろう。この差異はGDPの1.5%に相当する。そしてこれは何のために行われるのだろうか?こんなにも費用が掛かるというまさにその事実は、これらの集団からの高等教育への参加がすでに高く、彼らが政府の援助を必要としていないという現実の反映である。

端的に言えば、収入条件型の授業料無料化は非常に筋が通ったものであるが、本当に対象を絞る必要があるのだ。もし対象を絞りきれなかった場合は、よりプログラムのコストがかさむことによって有効でなくなってしまう。ニューヨークでの計画は、明らかに対象の設定が不十分なことによって苦しんでいる。期せずしてカナダとチリの計画は大部分において正しいと言える。より多くの地域が対象を絞った授業料免除を実験するにつれ、これらの教訓を理解することが重要になるだろう。

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<翻訳者>新見 有紀子(政策研究大学院大学 客員研究員、一橋大学 講師)