世界の大学事情

【世界の大学事情】第12回 1. 『「他者」への反動』, 2. 『大衆化の時代における大学ランキング―大多数にとっては無意味』

その1:『「他者」への反動』(Backlash Against “Others” )(IHE #89: 2017年)
Gary Rhoades(米・アリゾナ大学教授兼同大学高等教育研究センター長)

西側諸国の政治は、伝統的に支配的であったヨーロッパ民族以外の「他者」グループへの反動が際立っており、ひどく傷ついている。この反動は、高等教育へも極めて大きな影響がある。また、この反動は、部分的には、昨年世界を席巻した右派ポピュリスト運動に表れていたが、国家主義的な運動及び候補者が、既存政党、大学を含む既存制度機構、ヒトやモノの自由な移動に関する正統性、そして国際化と多様化のベネフィットに対して挑戦状を突き付けた。さらにこの反動は、部分的に、社会民主契約及び福祉国家の政治による脱構築をもたらし活気づけた。これは、高等教育機関を含む公的機関に対する体系的な攻撃及び予算縮小にも見てとれる。

反国際化
国際化に対する反動は、グローバルに展開している。ブレグジッドと欧州コミュニティの場合であれ、ドナルド・トランプ、オーストリア自由党のノルベルト・ホーファー、仏国民戦線のマリー・ルペン他の政治運動プラットフォームであれ、一国や地域にとどまらず、移民、ムスリム、そして他民族主義自体に対する反対運動が広がっている。これらの運動の中心部は最悪の状態で、国家及び人類の歴史の中で最も醜く暗い要素を表現している。それぞれが現在および未来における人々の流動や、歴史的に支配的であった文化を傷つける考え方の流入に反対することで、国家の理想化された輝かしい過去の栄光を取り戻すという強いテーマを有している。

大学にとっての示唆
大学はこれらの運動との関連性は概ね薄く、影響を被ってこなかった。しかし、その右派ポピュリストの反動による議論、政策及び施策は大学の基本的な立ち位置とは正反対のものである。それ以上に、教育予算を減らした主流政治家のネオリベラルな公共政策と同様、右派ポピュリストは高等教育を社会問題に対する解決策ではなく問題の一部と捉えて敵対視している。実際に、大学が主張しているとされる先進的で政治的に公正な他文化主義のイデオロギー及び国際主義は貶められるとともに、悪者扱いされ、大学に対する公的支援削減の理由とされるに至っている。「他者」を採用し、受け入れ、違いを祝福する先進的で包摂的な公共の高等教育は、右派の煽動者や信奉者にとって嫌悪するものとなっている。

大学がこのような観点において、より多様性を持つ機関となったことに比例して、政府から受ける資金の比率が小さくなってきている。この好例は米国であり、人口構造の変化が公的予算削減をもたらしている。実際、未だに不公正ではあるものの、学生人口が増えている低所得者、有色人種、移民層の高等教育へのアクセス拡大に伴い、高等教育に費やされる公的資金が減少しており、これは初等・中等教育においても同様の傾向が見て取れる。国内における民族マイノリティの大学への入学者数が比較的小さかった欧州では、米国と同様の傾向は明確には見られなかったが、留学生の受け入れを増加させたことが地域コミュニティや国政で摩擦を起こした形跡は見られた。この傾向は英国で特に顕著に見られたが、ドイツのメルケル首相が述べた「歓迎する文化」を大学や教育機関が一般的に支持する傾向にある大陸欧州でも同様の傾向がある。

階級間不平等に再度着目し、「他者」を包摂する
同時に、右派ポピュリズムと同様、大学にも別の側面がある。大学は、長きにわたり性別、民族、社会階層による排外活動を行ってきた。ポピュリストにとって、大学は既存体制の一部であり退廃的エリートであるが、この描写は全く正確ではないとは言えない。

高等教育の機会が労働者階級の子女にまで拡大したにも拘わらず、国内でも海外でも、依然として多くの大学はエリート層に奉仕するのみであり、更に、企業と同様、(高等教育にとっての伝統的な)将来の国内消費者が低迷すると、比類なき特権階級で構成される留学生のグローバル市場に目を向ける。海外留学できる学生は、欧州のエラスムス・プログラムやその他のより一般的なものであっても、他の学生よりも裕福で高い教育水準を有していることが多い。

そうであれば、国際化から便益を受けるのはどの階層であろうか。特権的な地位にある留学生を積極的に受け入れる大学は、同時に、より恵まれない地元の学生を置き去りにしていることが多い。殆どのエリート大学は、地元における多様な人種や国家背景を持つ低所得学生にアクセスを拡大することで、より特権的な留学生(米国の場合には州外の学生)を受け入れる場合と同等の文化多様性を確保できる。

最近、ケンブリッジ大学はブレグジッドが同大学及び英国の高等教育一般に及ぼす負の影響について警告する報告書を発表したが、過去数十年もの間、「新たな経済」の変動と衰退により打撃を受け続けてきた内陸産業地帯の平均的な労働階級の家族は、同大学やその他大学の教授陣と同じく悲しんだりはしていないだろう。また、ケンブリッジ市の15-20%を占める低所得者層にとっても同様であろう。なぜなら、ニューエコノミーも、便益を受ける者と辛い労働を強いられる者との関係性においては、オールドエコノミーと同様であるからである。

労働と資本の間の階級格差は国際的に広がりつつあり、社会民主契約を圧迫している。大学の学者及び幹部は右派ポピュリズムの大部分を定義付ける排外主義—そして人種差別、女性蔑視、及び同性愛嫌悪—により効果的に対抗するため、努力を絶対的に倍増させ、新しい対処方法を見つける必要がある。しかし、この際、比較的少数派である「持てる者」と圧倒的多数派である「持たざる者」という民族に我々を分離し、学術界と社会を苦しめる「社会階級」に対し、その隔たりの橋渡し役となることに身を投じることによって、我々はこのようなポピュリズムの台頭から教訓を学び取るに越したことはない。我々は、我々の住む社会を民主化するという社会的責任を、より確実に果たす方法を見つける必要がある。それは、学術界における我々のポリシー、慣習、そして信念体系により、国内外で比較的見過ごされ、教育上忘れ去られてしまっている「他者」という社会階級にいる人々の機会と生活を向上するためにも、世界的及び地域的なバランスを調整し直し、強化することを意味する筈である。

※原文はこちらからご覧いただけます。

その2:『大衆化の時代における大学ランキング―大多数にとっては無意味』(Pursuing Rankings in the Age of Massification: For Most—Forget About It ) (IHE #89: 2017年)
Philip G. Altbach(米国ボストンカレッジ国際高等教育センター研究教授兼創設理事)
Ellen Hazelkorn(アイルランド高等教育局政策顧問、高等教育政策研究ユニット(Higher Education Policy Research Unit; HEPRU)名誉教授兼所長)

本稿では、世界中の大学が、国内及びグローバル・ランキングで地位を築くことに対して、公に認めるまでもなく夢中になっているが、それは即座にやめるべきであるという単純な議論を展開する。

大学によってはランキング入りを果たすことや、または点数をごく僅かに改善させることができるかもしれないが、それに要する資金や、大学のミッションまたは学術プログラムを大きく変更させることに見合う価値は殆どない。実際、殆どのランキングの「向上」は、メディアや社会からの注目の維持と営利目的のために、様々なランキング機関によって導入される測定方法の変更によるものである。

我々の助言は、中位の国立または地方の大学や、ある分野に特化した大学、そしてその教育関係者や政府にとって特に有用である。今日ではこのような大学が、高等教育への参加を求める人口需要と、教育を受けた市民を育成するという社会経済的な要請を背景に、世界の高等教育機関の大多数を占めるに至っている。実際、高等教育機関に入学する学生数は、2000年の9,940万人から2030年には316%増の4億1,420万人になると予測されている。これら学生の増加分を吸収するためには、今後15年間にわたり30,000人規模の大学が毎週4校以上ずつ開校していく必要がある。これらの高等教育機関は、実際に社会とその地域の中軸として社会経済の成長と発展を担い、幾つかの専門研究分野に特化させると予想されるが、グローバルに名声を得るとは考えられない。

しかし、我々の助言は、「旗艦」の称号を有し、国内または地域内でヒエラルキー上部に属する大学にも該当する。なぜならランキングは、その大学の学生や卒業生がより長寿化する人生の各局面において成功し、満足し、活動的な生活を送るために必要な知識と技能を確実に取得させるという、高等教育の主たる目的の一つから外れた道を歩ませるからである。

大学の世界ランキングが測定するもの、しないもの
3つの主要なグローバル・ランキングである上海世界大学学術ランキング(Academic Ranking of World Universities: ARWU)、タイムズ高等教育ランキング(Times Higher Education: THE)及びQSが、主に研究の生産性と他大学、雇用者及び学生の評判(ARWUを除く)の2点を審査していることは広く知られている。THE及びQSは、それぞれ90%及び70%を研究に関する審査に充てているのに対して、それぞれ33%及び50%を評判審査に充てている。THEは、主観的評判アンケートを用いて教育の質を測定しているが、教室内に入らずに教育力を測定できるのか不明である。国際化については、質よりも量に力点が置かれており、スイスの例が示すように、国家の地理的な所在地を反映している。

その他、EUにより開発されたU-Multirank(ユー・マルチランク)は、より幅広い指標を用いているが、広く受け入れられておらず、Leiden(ライデン)ランキング等、範囲や分野を絞って実施しているものもある。国内または専門分野に限定したランキングも増えてきており、米国のUS News and World Report、カナダのMacleans、ドイツのDer Spiegel、日本のAsahi Shimbun等の出版社によるものから、Financial Times やインドネシアのGreen Metric 世界大学ランキング等のグローバルMBAランキングもある。 前者は幅広いデータへのアクセスが確保されているが、いずれのランキングも測定手法に課題を抱えている。

なぜ大学はランキングを無視すべきか
世界高等教育データベース(http://www.whed.net/home.php)によれば、世界には1万8千もの高等教育機関が存在している。しかし、どれだけ努力しても資金をつぎ込んでも、ランキングに掲載されるのは、ほんの一握りのみであり、実際、トップ100校は全世界の高等教育機関全体の0.5%、学生の0.4%に過ぎない。ランキング入りすること自体が大きな功績であることに間違いはないが、同順位を維持し、ランクを上昇させることは簡単ではない。期待値が上がる中、ランクの下落によるマイナス・イメージは避けられず、ランキングが不断の課題であり続ける。この背景には激しい競争があり、上位に位置する大学にはランクの維持・向上のために投入する資金と人材がある。更には、ランキングは理工医系に強みを持つ大学を贔屓する傾向があるため、特に途上国の新しく小規模な大学で、これらの専攻を持たない場合は、機会は限られてくる。同時に、既にトップレベルのランクを有する大学も向上し続けるため、大規模な資金やその他リソースがなければ、大学がランクを向上させることは不可能に近い。

ランキングからの教訓
ランキングは、高等教育及び政策に対して、等身大以上の影響力を及ぼしてきた。過去10年にわたり、ランキングが大学での意思決定や行動、予算配分、研究における優先順位、英語での出版や国際的に著名なジャーナルへの寄稿を含む研究分野における実践、採用・昇格基準、組織構造、大学同士の合併等に影響を与えてきたことは国際的に証明されている。今日では、多くの大学がランキングに対する戦略及びランキング結果をベンチマークする研究ユニットを有している。

研究への偏重の弊害として、これまでの国際的な経験によると、大学の使命及び価値観と、ランキング入りして上昇するための奮闘との間での発生しつつある摩擦の問題が浮かび上がっている。大学の教育面、学部生に関する事柄、また、芸術・人文社会科学分野は、物事の決定や資金配分の際に検討の範疇外にあることが多い。さらに、大学によっては、より長期間雇用されている教員や国内採用教員を差し置いた形で、スター研究者に対する贔屓や優遇措置が報告されている。他にも、大学が、学生の卒業率や就職率、卒業生の給与レベルや寄付等の成果指標に合致するように門戸を狭くするよう入学基準の調整を試みた事例等がある。しかし、これらのような取り組みを行うことで、大学は自らのミッションや目的を大きく変更させることにもなる。また、ランキングに統計上有意でない変更を加えるために資金投入した結果、大きな借金を抱えることになった例などもある。

ランキングではなく、大学の使命に焦点を当てよ
我々の最近の総合的経験は、ランキングが高等教育機関全てに影響を与える主要ファクターとなっていることを示している。イェール大学でさえも最近、もはやランキングを無視できないと発表した。ある大学の関係者は、ランキング闘争の渦中にありながら、本論考の筆者の一人に連絡を取り、ランキングにおける同大学の地位に懸念があると述べた。この経験は決して稀ではない。各大学が自治を推進し、様々な介入から自らを守ろうとする中で、大学の中には、他者が決めたアジェンダに従った決断を許していることは驚きに値する。

大学における、質と学生の学業成績向上の追求に代わって、名声と評判が大学の動輪となり、社会の階層化と評判による差別化を更に推し進めるに至っている。ランキングに用いられている指標とそれら指標に与えられる比重によって、意味のある測定方法が用いられているということが大前提として想定されているが、この測定方法が正しいという国際的な研究結果は存在しない。

問題は、ランキングの大渦に飲み込まれている大多数の中低位の大学にとって特に深刻である。 これらの大学とそれらを管轄している政府に対して、我々は、様々なランキング機関が設定した基準に合致するかどうかに専念するのではなく、大多数の学生が持続可能な生活と仕事を得るための資格を得る手助けをするという、真に意義のあることに集中すべきであると伝えたい。どれだけ財力や努力を尽くしても、結果は好ましいものとはならない。

※原文はこちらからご覧いただけます。

<翻訳者>新見 有紀子(政策研究大学院大学 客員研究員、一橋大学 講師)