世界の大学事情

【世界の大学事情】第9回 1.「研究と教育において卓越性(エクセレンス)が意味するもの」, 2.「シンガポールの「グローバルスクールハウス」 への野心」

その1:『研究と教育において卓越性(エクセレンス)が意味するもの』(The Implications of Excellence in Research and Teaching)(IHE #72: 2013年)
Johannes Wespel(ドイツ・HIS高等教育研究所 研究員)
Dominic Orr(ドイツ・HIS高等教育研究所 プロジェクトリーダー)
Michael Jaeger(ドイツ・HIS高等教育研究所 副所長)

近年、ドイツのエクセレンス・イニシアチブに最も顕著に示されるように、経済協力開発機構(OECD)諸国の多くにおいて、公立高等教育システムの運営および資金提供の手段として、科学の卓越性を促進する国家的な取り組みが普及している。この寄稿では、既存の様々なエクセレンス・イニシアチブにおいて大学の教育面が考慮されているのかどうか、またどのように考慮されているかについて検討する。 2つの主要な結果として、(a)大学の卓越性に資金を提供するスキームにおいて教育と学習(teaching and learning)は従属的な役割を果たすこと、そして(b)教育の卓越性を促進するための定義とプログラムは、研究に関するそれよりも一貫性が低いことが挙げられる。

エクセレンス・イニシアチブ
OECDのワーキンググループのために、科学的卓越性(エクセレンス)を目指す国営の資金援助スキームに関する公的な記述を分析し、その結果を専門家向けのOECDセミナーで議論した。データ資料は、4大陸16カ国の24のスキームに及んだ。この分析から、エクセレンス・イニシアチブには、以下のような典型的な形式が出現したことが示された。エクセレンス・イニシアチブでは、国際的なピア・レビュアー達によって、多くの場合現地への訪問を伴った、競争的な多段階の審査プロセスを通じて、一流の科学者で構成された限られた数の研究センターが選定される。エクセレンス・イニシアチブとして選ばれた研究センターは、研究の進捗状況と成果についての評価が肯定的かどうかによるものの、研究計画を実施するために多額の公的資金を受け取る。資金提供を受けられる期間は、一般的な研究プロジェクトに対する資金提供期間よりも長い。今回分析対象としたエクセレンス・イニシアチブにおける平均資金提供期間は6年以上であり、研究センターの将来的な持続可能性は、資金提供スキームの重要な目的である。ほとんどのイニシアチブは、開設以来、複数の資金提供サイクルを経ている。エクセレンス・スキームの政治的目標はどちらかというと一般的な方法で定義され、多くの場合、科学の特定の分野に関連づけられているという訳ではない。国家の科学システムの競争力を高め、研究機関同士や分野間の協力を通じて新たなシナジーを発揮するという目標は特に高く評価される。多くのエクセレンス・イニシアチブは国家のイノベーション戦略に由来しており、公的な研究セクターが重要な構成要素の一つとなっている。

エクセレンス・イニシアチブにおける教育面の地位
このプロジェクトで調査されたエクセレンス・イニシアチブの主なターゲットである大学は、教育と学習を通じて、科学的な研究を社会に広げる上での主要なアダプターとして機能する。したがって、公的資金がどのようにこの繋がりを支援しているかを見てみることは興味深い。そのため、エクセレンス・イニシアチブのプログラムに関する記述について、エクセレンス・イニシアチブのプロポーザルの評価基準に教育面が統合されているかどうか、また、どのように統合されているのかという点について、当研究対象サンプルで分析した。その結果、大半のエクセレンス・イニシアチブは、過去の研究業績、提案された研究プロジェクトの革新性と実現可能性、研究成果の有用性など、研究関連要因に集中していることがわかった。ほとんどのイニシアチブでは教育面は評価基準に含まれていなかった。スペインの国際キャンパス・エクセレンス・イニシアチブ(研究の卓越性と教育の卓越性は同等に重要とされている)、アイルランドの第三レベル機関における研究プログラム(教育と学習への影響は4つの主要評価基準の1つである)、韓国の世界トップクラス(World Class)の大学プログラム(教育面における改善を含む、教員の新しい環境作りを目指す)、ドイツのエクセレンス・イニシアチブ(研究が教育面に及ぼす効果についての基準は、15ある基準のうちの1つである)などのいくつかの事例のみが、特別に教育の側面をエクセレンス・イニシアチブに盛り込んでいた。

分析結果は、国家資金提供スキームで使用されている「エクセレンス」という用語が、研究成果を明らかに重視していることを示していた。批評家は、国家によるオフィシャルな卓越性という地位によって与えられた比類なき名声が、エクセレンス・イニシアチブに選出された者に与えられる多額の資金とも関連しながら、大学に所属する科学者たちに教育面を犠牲にして研究に専念することを奨励するかもしれないと恐れている。主にこの議論の文脈を受けて、いくつかの国では、新たな優れた教育概念を育成するために、別個の独立したイニシアチブを開始している。これらの教育面でのエクセレンス・イニシアチブは、その構造および選考プロセスの確立方法において研究面を中心に据えたエクセレンス・スキームから明らかにインスピレーションを得ている。同分野における国内外の専門家が質に基づいた手順で、競合する多数のプロポーザルを評価する。そして、最も優れた応募者のみに資金が提供される。このようなイニシアチブの例としては以下のようなものが挙げられる。まず、フィンランドの「大学教育におけるセンター・オブ・エクセレンス」のスキームでは、資金を受け取った部門は、長期的な視点で、大学教育の質と現実世界との関連性を向上させるために重要な役割を果たすことが期待される。また、2005年から2010年にかけて活動していたイギリスの「教育・学習プログラムにおけるセンター・フォー・エクセレンス」は、イギリスの大学において74の教育・学習開発センターを支援した。さらに、フランスの「革新的な教育におけるエクセレンス・イニシアチブ」は、革新的な教育プロジェクトに資金を提供し、他の高等教育機関のためのロールモデルとしての機能を果たす目的で2012年に開始された。そして、ドイツの「優れた教育」スキームでは、革新的な教育概念を実践している10の高等教育機関に資金を提供している。

卓越性と多様性
専門的な教育面におけるエクセレンス・プログラムの記述を詳しく見てみると、単一のイニシアチブの中でさえ、資金提供を受けた部門のみならず、卓越性を達成し維持するための具体的な方法も非常に多様であることがわかる。イニシアチブの対象としては、学部・研究科、学群、大学全体、期間限定のプログラム、あるいは複数の大学組織間ネットワークなどが挙げられる。それらの部門は独立した研究センターでも良いし、既存の教育ユニットに付属したもの、または既存の教育ユニット自体でも構わない。資金提供を受けた教育面におけるエクセレンス・イニシアチブにおいて用いられた方法の例としては、スタッフの資格認定、カリキュラム改革、学生のスキル開発、eラーニング提供の確立、大学ガバナンスにおける学生の声の強化が含まれる。これは、研究面におけるエクセレンス・イニシアチブにおいて、卓越性が実際にどのようなものであり、どのように達成されうるかについての定義が、国やイニシアチブ全体を通じてかなり均一的であることと対照的である。教育面でのイニシアチブと研究面でのイニシアチブの2つ目のコントラストもこの一つ目の発見に沿ったものである。それは、教育におけるエクセレンス・イニシアチブでは、提案された教育概念の革新性以外に、その教育概念に基づいた模範的な機関を作るということ、すなわち他の機関や他の環境への移転可能性を主要な評価基準とするということである。これに対応するような基準は、研究面におけるエクセレンス・イニシアチブではあまり見られない。したがって、教育面でのエクセレンス・イニシアチブは、一般に研究面でのエクセレンス・イニシアチブとは異なる役割を果たすようである。研究において卓越したスキームは、実証済みの作動パターンを通じて科学的価値の創造をはっきりと示す手段とみなされる一方、教育のイニシアチブはより探求的な特徴を持っている。まずは、優秀な教育とは何かということを明らかにすることに寄与することが期待されているのである。

上に述べられたような主要な国家のエクセレンス・イニシアチブに教育・学習面を含むことに対する躊躇は、教育の卓越性に関する合意された手続き、基準、および測定方法の欠如によるものと思われる。教育の卓越性に関するより統一的な理解がそのうち出現するのか、あるいは現在見られるアプローチの多様性がこのまま残るのかは今後明らかになるであろう。教育面のエクセレンス・イニシアチブにおけるアプローチの多様性は教育活動が文脈的および多面的な性質を持つために生ずる結果であろう。卓越した教育に関するより統一的な見解の出現がない場合、高等教育における全体的な卓越性の定義は、引き続き研究面によって決定される可能性が高い。これは知識社会における高等教育のマス化が直面している大きな課題を曖昧にしてしまうものである。

※原文はこちらからご覧いただけます。

その2:『シンガポールの「グローバルスクールハウス」 への野心』(Singapore’s “Global Schoolhouse” Aspirations )(IHE #87: 2016年)
Jason Tan(シンガポール国立教育学院 准教授)

「グローバルスクールハウス」ビジョンの概要が、シンガポールの通商産業省による2002年の報告書に盛り込まれた。この報告書の一部では、教育業界に焦点が当てられていた。同省は、シンガポールが、2兆2,000億米ドルという世界の教育市場の大きな部分を勝ち取ることができる好位置にあると主張した。そして、2015年には、学費を全額自己負担する留学生を15万人受け入れるという野心的な目標が設定されたが、それは当時の受入れ留学生推定数の5万人に比べて大幅に高い数字であった。

このビジョンを達成するにあたって、以下のような複数の経済的な利点についての概要が示された。例えば、高等教育機関の支出と受け入れ留学生による支出の増加は経済成長を促し、高賃金の仕事を創出するだろう。第二に、外国人学生の流入は、研究開発、特許の創出、企業開発などの知識集約型の活動における人的資本を向上させることになる。次に、教育機関の数が増え、コースの多様性が増すことは、国内学生の海外大学への流動を促進するだろう。最後に、受け入れた留学生は、シンガポールの才能ある人材プールを強化し、世界各地に国際的な卒業生ネットワークを形成するだろう。

この報告書では、グローバルスクールハウスの中核として、大学の三層制度を推奨している。頂点にはいわゆる「世界トップレベル(world-class)の大学」がある。これらの大学は主に大学院教育に焦点を当て、研究開発に貢献する「ニッチなセンター・オブ・エクセレンス」となる。第二層はいわゆる「基盤」大学であるシンガポール国立大学(National University of Singapore; NUS)、南洋工科大学(Nanyang Technological University; NTU)、シンガポールマネジメント大学 (Singapore Management University)という、公的資金を受けた3つの既存の大学である。これらの大学では、研究開発活動を行い、大学教育を受けた国内の労働力の大部分を国のニーズに合わせて供給し、奨学金を通じて地元の学生を引きつけ、公益としての教育という概念を満たす。ピラミッドの最下層の基盤を形成するのは「その他の私立大学」となる。これらの大学は、教育と応用研究に焦点を当て、グローバルスクールハウスに構想されているその他の10万人の外国人留学生の大部分に対応する。

社会的な文脈
グローバルスクールハウスのビジョンは、国家としての経済競争力を高めるために、教育が果たす重要な役割について声高に叫んだ一連の政策イニシアチブのうち最新のものであった。また、教育の市場化や商品化への移行も示すものとなった。1996年に当時の首相が、NUSとNTUを世界トップクラスの高等教育機関に発展させるため、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学をロールモデルとし、シンガポールを「東洋のボストン」にするという政府の意向を表明した。その後1998年にシンガポール経済開発庁(Economic Development Board; EDB)は、10年以内に、いわゆる世界トップクラスの大学を、少なくとも10校シンガポールに誘致する意向を発表した。この取り組みは、ジョンズ・ホプキンス大学、シカゴ大学、フランスの大学院レベルのビジネススクールであるINSEADなどの権威ある高等教育機関を引きつけた。グローバルスクールハウス・プロジェクトは、留学生の受け入れを歓迎するというシンガポールの長年の政策にうまく適合した。

障害
開始当初から、グローバルスクールハウス・イニシアチブは様々な困難に直面した。まず、外国の大学がシンガポールでのキャンパスやプログラムを撤回したり、 数年後にシンガポールでの運営を終了するよう求められたりするという、きまりの悪い、目だった事例がいくつも発生した。

例えば、2006年7月にシンガポール科学技術研究庁(Agency for Science, Technology and Research)は、予定していた数の博士課程の学生を集められなかったという理由でジョンズ・ホプキンス大学の生物医学研究施設を閉鎖すると発表した。また、その研究施設は、EDBからの資金援助額が1998年以来5,000万米ドル以上にのぼるにもかかわらず、13のパフォーマンスベンチマークのうち8つを満たすことができなかった。 さらに別件で、ニューサウスウェールズ大学アジアキャンパス(University of New South Wales Asia; UNSW-Asia)の開設から4ヶ月後の2007年2月に、シドニーにあるニューサウスウェールズ大学のホームキャンパスは、学生数不足および財政的継続性の見通しが立たないとしてUNSW-Asiaをその年の6月に閉鎖すると発表した。

ここ数年の間に、シンガポールのグローバルスクールハウスはさらに3つのキャンパス閉鎖を発表し、さらなる挫折に直面した。 2012年、ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アート・アジア校(Tisch School of the Arts Asia)は、映画、アニメーション、メディア制作、ドラマ・ライティングの修士課程を終了することを決定した。同校はEDBからの約1,700万米ドルの財政補助金とニューヨーク大学からの追加資金を受け取ったにもかかわらず、存在していた5年間に渡り、財政赤字に苦しんでいた。

2013年には、シカゴ大学のブース・スクール・オブ・ビジネス(Booth School of Business)は、繁栄している中国経済に接近するため、シンガポールから香港へエグゼクティブ教育プログラムを移管すると発表した。同時期に、ネバダ大学ラスベガス校はホスピタリティマネジメントの学士号プログラムの閉鎖を発表し、その理由として財政的継続性の問題を挙げた。さらにもう一つの論争にはイェール-NUSカレッジ(Yale-National University of Singapore College)が関連していた。 2011年にイェール大学とNUSの共同事業として設立されたこの高等教育機関は、自由な発言と集会活動に大きな制約を課す権威主義国家の中で、自由な探求に専念するというリベラルアーツ教育が繁栄できるのかについて疑問視したイェール大学の教授および人権擁護者によって批判された。

これらの目だった論争に加えて、グローバルスクールハウス・イニシアチブが直面した二番目の問題は質の保証であった。今世紀の最初の20年間に、複数の営利目的の私立大学が突然閉鎖し、学生への財政的または学術的救済がなされないままとなるという不正が見られた。議会が、学位、卒業証書、または証明書を授与するすべての私立教育機関を規制するために、私立教育法(Private Education Act)を通すまでに、グローバルスクールハウス・イニシアチブの当初の発表から7年を要した。

三番目として、グローバルスクールハウス・イニシアチブが直面するより最近の課題は、リベラルな移民政策の持続可能性についてのますます激しい論議である。与党はその圧力に屈し、ここ数年、移民への規制を強化した。このような移民政策の方向性の変化は、教育の拠点になるというシンガポールの望みに不可避的な結果をもたらすであろう。

グローバルスクールハウスのビジョンが発表されてから14年が経過したが、15万人の留学生を受け入れるという目標は、その達成の見通しが立たないままである。2014年の報道によると、外国人留学生の数は、2008年の97,000人から、2012年には84,000人に、2014年には75,000人に減少した。同年に発表された香港上海銀行の調査では、外国人留学生の間でシンガポールにおける雇用の見通しや生活費についての懸念が強まっていることが明らかになった。2年前、通商産業大臣は、グローバルスクールハウス・イニシアチブは学生数やGDPシェアよりも教育の質と経済的関連性を重視すると議会に話していた。彼の声明は、学費全額自己負担の留学生を15万人受け入れるという当初の目標は、その達成の目処が立たないものであったことを暗示していた。

※原文はこちらからご覧いただけます。

<翻訳者>新見 有紀子(政策研究大学院大学 客員研究員、一橋大学 講師)